縦走路/2019年1月「父の背中 」

 今年は5月に元号が変わる。名称はまだ分からないが、理屈なく一時代の終わりと始まりを感じさせられ る年になるだろう。 私ごとだが、昨年11 月に父が亡くなった。大正生まれの94 歳だったから、天寿を全うしたと思いたい。 関東大震災の翌年に生まれ、大正デモクラシーの芽生えも儚く軍国主義の暗い時代を経て、敗戦後は混乱の 中から平和な日本の礎を築いた世代だ。
 父は口数が少ない人で、戦中戦後の苦労話もほとんど聞いたことがない。母の話では、小学校を出て直ぐ に雫石の家を離れ、盛岡で書生をしながら夜学に通い、東京での大学時代は栄養失調でガリガリに痩せてい たらしい。身体が小さく弱かったため、赤紙が来たのが終戦間際で戦地には行かずに済んだ。
 父は山と自然が好きで、私を登山やキャンプによく連れて行ってくれた。私が登山を始めたのも父の影響 が大きい。父はいつも穏やかで、感情的になることもなく、家族や周囲の人々を黙って思いやる人だった。

№2 渡邊 健治

 私が大人になるころには、父とは違った道を歩みたいと生意気なことを考え、わがままも言った。そんな とき、父は何も言わずに好きなようにさせてくれた。父がどんな思いでいたのか、今は聞くことはできない。 ただ、今の自分が全てにおいて父に似てきているので、若気の至りに赤面しながら、父の気持ちも分かって きた気がする。言葉は少なかったが、父は背中で息子の私を導いてくれていたのだと思う。
 人は、仕事でも、家族でも、遊びでも、身近な人間から多くを学ぶ。ときに反面教師もいるだろうが、人 間は社会をつくる動物だから、他者との関わりなしに生存も成長もできない。
 それは、山岳会にも当てはまる。先輩や仲間がいるから、会員は多くを学び成長することができる。私も 会の先輩から、登山技術だけでなく、組織論や人生哲学など語り尽くせないくらい多くを学んだ。会員であ るかぎり現在進行形だと思っている。 今年で創立33 周年になり、多くを学んだ先輩の背中も少なくなってきた。いつのまにか、自分の背中を 意識する歳になった。あるセミナーで「真のリーダーは背中で語る」と聞いた。曲がった背筋を伸ばし、裏 も表もなく、後ろ指だけは指されぬよう、残り人生を生きたいと思う。

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