縦走路/2020年4月「感謝の気持ちで」
山に登ると神社や祠がたくさんありますよね。殆どの方が手を合わせていますが、何をお祈りし、話しかけているのでしょうか?
30年近く前のことになりますが、私の嫁ぎ先の義父母は、その頃すでに亡くなっていた祖母に代わって生前に詣でたであろう神社へお礼参りをして歩きました。何かと繊細な義母の体調が悪く、八卦見の言うことを半信半疑で実行したようでした。私は子育てに忙しく、出歩くことも少なかったため、しばらくは忘れていました。
数年前から自分の時間も出来て旅行することも増え、思いがけず神社参拝がコースに入っていたり、通りかかったりで、とっさに「世界平和」なら誰も文句なしとの考えから手を合わせることもありました。でも、やはり遠方はお礼参り出来ないのが気になっていました。それに加えて山に登るようになって小さな祠の前を通ることが増え、モヤモヤした気持ちになりました。また、その頃一緒に登山していた人から「単独では山に入る前のご挨拶と、下りてからの拝礼をしていたが、一緒におしゃべりしていたら忘れてしまい体に不調が出た」と言われ困惑しました。色々な考え方があると思いますが、私的には、登山時に祠があれば安全な山行を祈願するかな?と思いましたが、登りと下りが同じコースとは限らないので、またモヤモヤ~~
考えすぎるかなぁと思いつつ、この原稿を書いている時期に、偶然か、必然か(大げさ)、地元の宮司さんとバッタリお目にかかりました。お聞きしたところ登山の場合は、山全体がご神体と考えられるので下山したときに山に向かって拝礼をする。遠方の神社の場合、良くも悪くも結果が出たときに、方角が判ればそちらに向かって。あるいは、近くの神社で拝礼したい神社の名前を言って拝礼すると良いそうです。お札があれば家の神棚に祀って拝礼をすれば良いそうです。なんだか気持ちがスッキリしました。話を広げると、神様にお願い事を叶えていただくのではなく、手を合わせて「感謝と誓い」をお伝えし、自分と向き合うと言う考え方もあるらしいです。
この原稿を書くにあたり、あかげらをホームページから読みました。会報部では「先輩方がたくさん良いことを書いている宝物です」と言っていますが、本当にそう思いました。そんな中でのこの原稿で申し訳ない気持ちになりましたが、私にとっては色々なことに気づかせてもらう良い機会となり感謝しています。
No.491 菅原里華